おとしもの

頭の中のものをぜんぶ形に出来たらいいなぁ

若者の順応性の高さ

えぇ、どうも。

 

会社で好きな上司の奥さんが出産ということで、どんなお祝いを贈ろうか考えてます、由良です。
最近の人たちは失敗するリスクを避けて無難なものかギフト券、食事券ばかり贈るそうです。
多分何を贈ってもそこそこに喜んでくれるような人だと思うので、何にしてもいいと思うんですが、本当に欲しいものを贈りたいってことで、amazonギフト券という無難オブ無難なものを贈ろうと思ってます。

 

 

はいと言うわけで

少し前の出来事なのですが、僕の契約更新の話をしてるときに、中間管理職のおじさんが言っていた話をします。

説教ではないのですが、「社会的に上り詰めるためには自分だけの武器が必要だ」ということを言われました。

僕にはどんな武器があるんだろうと考えながらおじさんたちの話を聞いていた時のことで少しだけ面白い話があったので書き留めていきます。

 

 

自分だけの武器とは

 一応言っておきますが、ここでいう武器はスキルのことですからね。

誰にも負けない何かがある人と言うのは、それだけで強みになる。

社会に対する唯一性があり、特定の状況で必要とされやすい。

例えば、英会話ができるとか、体力があるとか、瞬発力があるとか。

履歴書に書く内容とほとんど一緒ですね。

それらのことが、自分の生活するコミュニティ内で頭一つ出ていると力を発揮するチャンスが多くなる。

もちろん、直接仕事と関係のないことでも十分に活かせることはある。

人を笑わせるセンスやすぐに打ち解ける力など、コミュニケーション能力で買われる人も少なくはない。

僕なんて上司によく「バカのふりして○○してよ」と言う無茶振りをされたりする。

もちろん場を和ませるための言葉だし、僕はいじられキャラとしての立ち位置を獲得しつつ、実際かなりバカとして常にニコニコしている。

面白ければ僕はすべてのことが受け入れられるので、とても楽しい職場です。

話が逸れてしまいましたね。

これを見る限りだと、僕だけの武器ってまだ何もないような気がしますよね。

実際ないと思います。

面白ければNGはないので、ほぼ無限にいじれることくらいですかね。

最初に戻りますが、改めて僕の武器は何だろうと考えながら、おじさんたちの話を聞いていました。

どうやら近年の若者にはある共通点があるらしいです。

 

近年の若者は順応性が高い

おじさんたち曰く、新卒で入る若者のほとんどが、大抵のことはそつなくこなしてくれるらしい。

時々ミスはするものの、どうしようもなく使えない奴はそんなにいないらしい。

おじさんたちはたくさん転職してきて、数多くの新卒社員を見てきたみたいで、多くの新卒を見てきた。

その中でも優秀な若者は数多くいたらしい。

仕事ができると一言で言えて、気がきく。

社内でうまく立ち回っていて上下関係もうまくこなしている。

大きなトラブルを起こすことなく、ルーティンワークを片付けていく。

やっぱり初めからできる人はいるんだなぁって思った。

しかしおじさんは「だけどね」と続ける。

「順応性は高いんだけど、その先がないんだよ。そんなのいずれ誰でもできるようになるのにね。」

 

若者のほとんどは代わりがいる

 会社に長く勤めていれば、年功序列という悪習のお陰で、仕事がそんなにできなくても立場は良くなっていく場合がある。

使えないおじさんが社会にはたくさんいるのはこのせいだ。

しかし最近はそうもいかず、会社に長く勤める人はごくわずかになった。

退職したり、転職したり、退職させられたり。

特に最近の若い人の離職率はとにかく高い。

世間の働くことに対する意識が少しずつ変わっていて、かなり強気に辞めてく人もいれば、持ち前の順応する力を活かして転職する人もいる。

自分の納得の行かない会社はすぐに離れ、我慢はしなくてもいい世の中になった。

それでも我慢する人はたくさんいるんだけど。

おかげで会社は大混乱。

入社してから3年以内に辞めていく人が多いせいで、辞めた人の教育に割いていた人件費や経費の元が取れない。

基本的に会社としてはマイナス。

それでも将来のことを考えると穴を埋めないわけにはいかず、すぐに人事部が動き出す。

そして採用した新卒はまたしても順応性の高い人。

こりゃラッキーだと思っていたのもつかの間。

あっという間に辞めていってしまう。

そうして新卒がロケット鉛筆のように入っては辞めてを繰り返す。

しかし、不思議と会社はなんとか回る。

教育に疲れる人が出てきたり、人件費の無駄になる可能性はあるが、その周期も1〜3年ほどなので、何だかんだうまく回る。

それに、どうしようもなく使えない人はほとんどいないわけですから。

つまり、会社は若者を取っ替え引っ替えする余裕を持ってる場合がある。

ホワイト企業であればあるほどそれは容易になる。

もちろん長い目で見てあまりいいことではないが、ソシャゲのように会社も新卒ガチャのリセマラを楽しんでる可能性すらあると僕は思った。

本命の当たりが出るまで回す。

 

近年の若者の傾向

ちょっと教育的な話をすると、昔に比べて教育は優しくなった。

そして、若い世代に選択肢をたくさん与えるために、様々なことを学ばせる。

昔に比べてかなり自由度の高い教育。

その教育が生み出す若者は、広く浅くいろいろなものに手を出せるが、結局何がしたいのか、何ができるのかわからなくなる。

高校を出た後の進路の話で出てくるのが「とりあえず大学」というワード。

四大さえ出ておけば将来困らないと言う考え。

実際それは一理ある。

大学卒はわかりやすいレッテルであり、ブランドだ。

どこに行くにしても便利な武器になる。

しかし、みんながみんな「とりあえず大学」に行ってしまうと、秀でた人はいなくなり、道が決まらずに就活する人が多数現れる。

そしてとりあえず就職した時もやりたいことではないため、すぐに辞めてしまう。

さらに、そつなくこなせてしまうため、慣れてくるとだんだんやりがいを感じなくなる。

おじさんたちは若者たちに対して向上心が感じられないと言っていたが、確かに向上心のある人にあまり出会わない。

現状維持をし続けて、「働く」と言うよりは「やり過ごす」と言った感じだ。

僕も日々をやり過ごしている気がする。

 

 

順応するということ

つまり波風立てずになんとか生きていくということ。

「迷惑をかけてはいけない」と言われて育ってきた僕たちの世代は、誰にも触らず関わらずで、1人でなんとかしようとしがち。

いいこともあるんだけど、多分悪いことの方が多い気がする。

だったらむしろ多少迷惑をかけてでも、のぼりつめようと学ぶべきだと思う。

もちろん思うだけで僕は出来てないんだけど...。

だってどうしようもないじゃん。

怒られるの怖いし。

失敗は怖い。

いや、失敗が怖いというより、失敗したことを周りに知られるのが怖い。

だから全て1人で完結して、1人で失敗して、こっそり失敗を取り戻す。

全て自己責任で他人になるべく迷惑をかけずに生き続ける。

僕は多分そうやって大人になっていってしまうと思う。

気がつかないうちに迷惑をかけてる誰かに気がつくこともなく。

 

 

 

 

 

由良 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

andropの中でもトップレベルに好きな曲です。

やさしい歌声なので、好きな人は多いと思います。

 

変人と異端者

えぇ、どうも。

 

仕事中ちょっとした待ち時間にネットサーフィンしていたら面白そうな話を拝見したので、記事にしようと思います。

賛否両論あるのかもしれないし、一部の人に多少攻撃的な内容だと思いますので、悪しからず。

 

 

あなたの周りにいる変な人や異端者は本物なのか

のっけからこんな感じですが、皆さんの周りに変な人はいますか?

ここでいう変な人って言うのは、他とはなにかが違った人という意味で、変人であることに酔ってたり、演じている人は除きます。

周りに変人であることをアピールする人間はただの承認欲求を満たしたいだけの人ですから、変人ではないです。

どちらかと言うと、誰かに「なんか変だよな」って言われて他の人も「言われてみれば確かに変だな」って言う。

なのにそれに気がつかない(天然に近い)人とか。

もちろんそれを誰かにアピールする奴はただのエセ天然。

あとは誰も見ていないところで突然奇行に走ったり、何か一つのものに対しての執着が異常だったり。

そう言う人を僕は変な人だなぁって思う。

変な人を演じられる人は僕も好きなんですが、本気で「自分は誰よりも奇行に走れる変人だ」って思ってる人はちょっと受け入れられない。

変人である自分に酔いしれてるタイプは「こいつ頭おかしいわwww」って言われたいだけの承認欲求が産んだ哀れな生き物です。

まあ、そこまでは思ってないんだけど。

とか言うと「じゃあ自分は変人じゃないんだぁ〜よかった〜」とかデカイ声で言って「いやお前変人だから」って言うツッコミを待ってる人も現れるからね。

世話ないよね。

自分なりの変人の定義だけで500文字以上使ってしまった。

一応辞書の意味も載せとくね。

 

へん‐じん【変人/偏人】

言動や性格に普通の人とは変わったところのある人。変わり者。「奇人―」

 

まあ、そのまんまですね。

 

 

日本にいる異端者は意外と少ない

例えば、「マツコの知らない世界」に出演する人で、本当に変な人なのかどうかを見極めるのはなかなか難しい。

僕には変な人でいることに酔いしれているように見える人ばかりに見える。

また、周りで「こいつは本当に変な奴だ」って言える人は多分1人くらいしか思いつかない。

そいつも変人というよりたんにアホなだけかもしれないし。

頭がおかしいようなそぶりを見せる人はたくさんいるもんなんだけど。

あなたの周りには僕が先ほど定義した変人に当てはまる人はどれくらいいますか?

その人は「笑いを取るため」だとか「変人だと思われたいがため」だとかで変人を演じていませんか?

その辺をそぎ落としていくと、異端者や変人はかなり限られてくる。

ところで海外の人はどうだろう。

僕はそこまで詳しくはないんだけど、海外のニュースは猟奇的なものが多いような気がする。

いわゆるサイコパス的な事件とか。

あとは理解できない趣味とかは海外の方が多いような気がする。

まあ全部主観なんだけど。

とにかく、日本と比べて、変な人の割合は多い気がする。

 

 

日本人は個人では異端になりにくい

この題だけでなんとなく察した人はいると思う。

日本はすごい民主主義で、右向け右な国。

それが嫌だと反発する人が前述した変人を演じる変人。

そういう人は右向け右と言われて左だったり上だったり斜め方向を見るものだけど、本当の変人は右向け右と言われようが言われまいが構わずに多方向を見てる人か、方向は右を向いてるのに目を瞑っていたりする人だと僕は思う。

「自分はちゃんと右向いてるよ」と言わんばかりのしたり顔だったらまず変人。

でもそんな人はごく一部しかいない。

なにせ、民主主義は強く根付いてしまっていて、本当の意味で異端になることを恐ろしく感じているからだ。

政治家も保守的な人ばかりで、新しさがあまりない。

しかし僕は日本を狂った国だと感じている。

何かが歪んでしまっていて、それに気がついてない人がたくさんいる気がする。

矛盾しているようだけど、僕はこう思う。

日本人は集団で異端になる。

たとえば学校での話。

イジメってありますよね。

暴力や嫌がらせはよくないってわかってる。

でもいじめてる人の声が大きければ、民主主義な日本人はそれに乗っかる。

集団的心理に近いが、誰かがやっているからやる。

みんなしていることだから、正しい。

こうやって少しずつ狂っていく。

会社もそうだ。

最近ではブラック企業は悪だという声が大きくなり、SNSのお陰で会社のブラック具合が明るみに出てきていたりしているが、小さな企業はそうもいかない。

コミュニティが小さければ小さいほど、異端であることに気がつきにくい。

そこが自分の世界の全てだと思ったら、従う他ない。

もっと客観的に見ればおかしいことに気がつけるのに、それもできない。

会社の人みんなが向いてる方向にしか向けない。

そこが右じゃなくても、正しいと思わされてしまう。

 

 

まとめ

日本の異端者は独特で、国単位で狂ってる。

ゴミがたくさん置いてあればそこはゴミ捨場になり、自転車がたくさん止めてあればそこは駐輪場になる。

海外にもそういう思考の人はいると思うが、日本ほどの暗黙の団結力はないだろう。

みんながやってるからいい。

そういう頭でできていて、何かの間違いで民主主義が終わっても、日本人の国民性は変わらないと思う。

 

 

 

 

 

どうでもいい話だけど、僕の友達の知人の彼氏の話です。

その人はマクドナルドに行くと、必ず店のトレイを持ち帰るらしい。

彼女になぜかと聞かれると、普通の顔で「集めてるんだ」と言ったらしい。

他にもその少年は、好きな人を「いい歩道橋があるんだ」と言ってデートに誘ったそうです。

これは本当に変人だなぁって思いました。

 

由良

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

可愛らしい曲です。

古いアーティストですが、いい曲なのでよければお聞きください。

読み物「メリーの悲しみ」

メリーの悲しみ

 


誰もが目を背けるような残酷も、時には誰かの幸せになる。
人は幸せの裏に潜む残酷に気がつかない。

 

第1章
「プロローグ」

枯れた木々。舗装された道。
両手を塞ぐ卒業証書と一輪の花の存在が、これから環境が変わっていく恐ろしさと不安を伝えてくる。
持て余した足がアスファルトに転がる石ころを蹴飛ばす。
そいつが電信柱にぶつかって2つに割れた。
春から大学生になる。
僕はウマが合わない中高の同級生から逃げるため、都心の私立大学に進学する。
代償としてほぼ毎日のアルバイトで家賃を賄わなければならない生活を手にした。
今も健在の両親に学費だけはもらえたが、都会での1人暮らしに関しては「勝手にしろ」だそうだ。
両親とは悪い関係ではなく、一般的な家庭とそれほど変わらない。
そこそこに愛情があり、そこそこに放任主義
と言っても、親のいない新生活は楽しみではある。懸念されるのは、ゼロから始まる人間関係

だ。

まもなく家に着いた。
学校から先に帰っているはずの両親がおらず、居たのは春休み真っ只中の弟の昇だけ。
昇は僕の姿を見ると、
「父さんと母さんなら出かけたよ」
と言った。
息子の卒業式と言う晴れやかなイベントなのに、なんだか面白くない。
同級生たちは夜にまた集まって、打ち上げのようなものをやるそうだが、当然僕は行く気になれない。
僕がリビングで寂しそうにぼーっとしていると、昇は立ち上がり、自室に戻った。
歳を重ねるごとになんだかこうして一人でいることが多くなっている。
それは僕が望むこともあれば、望まない時もある。
家族というのは、たとえ居て欲しくない時でも居てしまう存在であるのに、大人になるにつれて離れているような気がする。
ついには僕から離れる訳なのだが。
東京の生活はきっとこの地よりも華やかで、素敵な出会いがあって、楽しいキャンパスライフが待ってるに違いない、とは微塵も思わない。
楽しめるかどうかは僕次第で、華やかな世界の輪に溶け込めるかも僕自身に左右されている。
ただ1つ言えるのは、僕の住む街よりも、知っている人が少ないのは確実な訳で、華やかな輪に溶け込めなかった時には、この街にいるよりも大きな孤独を味わうだろう。
家族はもちろん、近所の商店街の肉屋のおばちゃんも、いつも行くコンビニのお兄さんも、バイト先のどんな話でも聞いてくれる優しい先輩も居ない。
なんとなく馴染んでしまったこの街に対する寂しさはあった。
「ただいま」
玄関のドアを開く音とともに母の声が響いた。

おそらく父も一緒にいるだろう。
「暁、卒業おめでとう。あと引越し祝いに」
帰るや否や手渡された小さい紙袋と大きな箱。
「おお、ありがとう。あけていい?」
「おう」
ぶっきらぼうな父の声もどこか優しく感じた。
それぞれ袋から取り出し、小さい箱を手に取った。
綺麗な箱に包まれていたものを剥いでいき、次第に箱が小さくなっていく。
最後に待ち受けていたのは、万年筆だった。
正直、年頃の学生にプレゼントするものとしてはあまり正解とは言えない。
僕は小さく苦笑いを悟られないようにし、
「ありがとう。たかそうだね。こっちは何かな」
すぐさまもう一つの箱に手を出した。
中身は少し大きめのサウンドセットだった。
僕は喜びをうまく隠せなかった。
心の中からじわじわと込み上げてくる嬉しさが、口の端まで溢れてしまっている。
「これ、1番欲しかった奴じゃん!」
「あなたの開いたままのパソコンの画面にあったものよ」
「また勝手に入ったのか。勘弁してくれよ母さん」
そこには暖かな笑いがあった。
騒がしさに降りてきた昇も少し笑っていた。
「とうさん、かあさん、ありがとう」


第2章
「メリーの始まり」
失敗した。
そう思わざるを得ないほど僕は絶望していた。
大学生活ももう始まって2ヶ月以上が経つというのに、友人と呼べる人は1人としていなかった。
講義が始まると、静かになる講堂が愛おしかった。
沈黙は僕の味方だ。
だが、授業の終わりを迎えると、空気が抜けたように喋り出す奴らがいて、その輪に入れない僕がいる。
周りはすでになんとなくグループが出来始めていた。
おそらくサークルや部活に所属して得た仲間か、元からの仲間か、そのどちらでもないが高いポテンシャルを持ってるお陰で人が集まるかのどれかだろう。
僕も試みはした。
同じようにスタートダッシュを切るべく、ジャズバンドサークルに入った。
はじめは皆初々しさがあり、仲間に思えた。
だが、その後にあった新入生歓迎会の日にちを勘違いして、喫茶店のアルバイトを入れてしまったのが僕の落ち度だ。
次の日普通に顔を出すと、昨日の話題で持ちきり。
僕が間に入るスキマもありはしなかった。
初めて会った時の初々しさも無く、遠い存在に感じた。
次の日から僕はサークルに顔を出すことも出来ず、まっすぐ帰る生活になった。
そうしてズルズルと過ごしていたら、いつの間にかこんな時期になってしまった。
現状を悲観していると、本日最後の授業が終わる。
身支度をして、さっさと帰ろう。

別に今の生活が楽しくないわけではない。
憧れていた都会で名前が聞いたことのある町ばかりだ。
週5回ある喫茶店のアルバイトも少しづつ慣れてきて、余裕もできてきた。
来店する常連さんにも顔を覚えてもらえるようになり、店長とも打ち解けてきた。
小規模な喫茶店なので、アルバイトする人は僕の他に3人しかいない。
逆にそのコミュニティの狭さが、田舎者の僕を安心させてくれるようだった。
今はそこが僕の居場所だった。

電車を乗り継ぎ、自宅の最寄り駅までついた。

駅から徒歩15分と、決して近いわけではない。
それでも一人暮らしというのは快適なものだ。
ドアを開けて、「ただいま」と言っても返事はないが、手洗いうがいをしないことを注意して来る親もいない。
僕を少し避ける弟もいない。
非常に快適だった。
まだ日が落ちきっていない部屋に、引っ越し祝いのサウンドセットを鳴らす。
隣人に文句を言われない程度のボリュームでクラシックを流す。
まるで映画の中にいるような気分だ。
僕はそのまま筆をとった。
中学時代からずっとこんなスタイルでノートに向かっている。
やることは課題ではない。
ましてや家計簿なんてものも取っていない。
頭の中で形になっていく言葉を紡いで、一つの詩にする。
とことん自分だけの世界を創り出せる。
アルバイトがない日は大概こうしているといつのまにか月が昇っている。
今日は退屈な講義中に書き出した詩を仕上げるまで眠らないつもりだ。
自分に喝を入れて取り掛かった。

      ◇      ◇      ◇

今日も講義は退屈だ。
しっかり聴く気にもなれず、コソコソと話す友達もいない。
このままでは、詩を書く生活も腐っていきそうなほど、同じことばかりをしていた。
新生活も少しずつ慣れてきているので、何か新しいことがなければ、頭が空っぽになりそうだ。
そうやって焦っていると、いつのまにか教室は暗くなっていた。
なにやらプロジェクターでドキュメンタリーを見るらしい。
内容はホームレスに密着取材。
そういった自分とは住む世界の違う人間は創作意欲を掻き立てられやすい。
僕は食い入るように見ていた。
およそ30分の長さもあっという間に感じた。
終わってからは休み時間だろうと講義中だろうと構わず筆を走らせる。
僕はそうして今日の分の講義が終わり、アルバイトの時間まで少し喫茶店で時間を潰すつもりだった。
「サークルに来ないんですか?」
明らかに僕に声をかけていた。
肩くらいの長さのウェーブがかかった黒髪。
背は多分150センチくらいで小柄で可愛らしいが、僕を見る眼は少しきつく感じた。
放たれた言葉の意味を瞬時に理解した僕は、その眼にひるんでとっさに嘘をついた。
「人違いじゃないですか」
目は合わせられなかった。
僕の心境など構やしないのか、ズケズケと彼女は言った。
「なんで嘘つくんですか?顔合わせの時いましたよね」
すぐにバレてしまった。
おそらく彼女も同じジャズバンドサークルに所属しているのだろう。
籍だけ置いてサークルに来ない僕を来させようとしているに違いない。
今更顔を出すのも僕はためらってしまうが、呼ばれたのであれば少しは打ち解けやすいかもしれない。
そんなことをぐるぐると考えていると、彼女はため息をつき、
「ちょっと時間ありますか?」
きっと睨みつける。
僕は凄みに負けて、彼女と喫茶店に入ることになった。

      ◇      ◇      ◇

彼女は同じジャズバンドサークルで同じ学部の同級生だそうだ。
名前は広瀬雪乃。
話によると、ジャズを中心とした音楽が好きで、ジャズロックは特に好み。
ジャズバンドサークルに入ったのもそれが理由らしい。
しかし、ジャズバンドサークルはほぼ形だけで、実態は中途半端にロックバンドが好きな奴が集まる飲みサークル。
新歓でアーティスト名で山手線ゲームをしたら、彼女の番で毎回アーティスト名を2度きかれたそうだ。
顔合わせの時に僕がジャズやクラシックが好きだと答えていたというのだが、緊張していてほとんど記憶にない。
そして僕にジャズの話を聞こうと思っていたのに新歓はおろかなかなか来ない。
そして腹を立てて今の状態に至る。
「それで、来ないんですか?」
落ち着いたのか、初めよりは優しい口調だ。
「今更行くのも気まずいし、しかも飲みサークルなんですよね。それなら辞めようと思います」
今しかないというタイミングで辞める意思を示せた。
彼女にどうにかして伝えてもらいたいと半ば他力本願である。
「そっか!じゃあさ!新しいサークル作らない??」

それはあまりに突拍子も無い話だった。
先ほどまでのキツイ眼も柔らかくなり、まっすぐにこちらを見据える。
さっきのが猛獣の威圧だとすれば、これは小動物のおねだりである。
僕はまたしても目をそらした。
それと同時に少しワクワクしていた。
きっと僕はこのお願いを断れないだろう。
そしてなんだかんだとサークルのようなものを立ち上げて、楽しいキャンパスライフが過ごせるんじゃないかと期待していた。
その後も雪乃の長い話は続いた。
基本は音楽の話だったが、僕も簡単に打ち解けてしまった。
不思議と、雪乃になら受け入れてもらえる気がして、今まで作詞してきたノートを見せた。
雪乃はじっくりと眺めて「素敵ね」とこぼした。
初めて受け入れられた気がする。
心の底から嬉しくて、同時に誇らしかった。
楽しくてすっかり時間を忘れていた。
机上の携帯がリミットを知らせる。
「やべ、バイトだった!」
「えっ!?」
慌てて準備する。雪乃もそれにつられる。
急いで会計を済ませて出て行く。
「明日ゆっくり話そう」
雪乃は去り際にそう言った。
特に返事はしなかったが、恐らくわかっているだろう。
アルバイト先に行く足取りはいつもより少し軽く感じた。
しかしそれは気分的な要素だけではなく、本当に少し軽くなっていた。

      ◇      ◇      ◇

幾年ぶりに母校へ顔を出してみれば、私が立ち上げたサークルは見るも無残な姿になっていた。
せっかくのオフの日だったが、あまり気分は良くない。
学生時代よく来ていた喫茶店で1人悦に浸ろうと思っていたが、入店後、すぐに雑音が鳴り出した。
雑音に聞き耳をたてると、私の母校の件のサークルを汚していた。
無理もない。あんなサークルあってもなくても同じことだ。
その後も雑音は続いた。私に関係のない話をし始めたあたりから、帰宅の準備を進めた。
しかしそれよりも早く慌ただしく消えていった。
雑音がいなくなると、再び静かな喧騒が生まれた。
豆を挽く音。ドリップして水滴が落ちる音。コーヒーを注ぐ音。ティースプーンとソーサーが奏でる甲高い音。
私はこの喧騒が好きだ。
会計を済ませ、店を出ようとした時、あるものが目に入った。
この喧騒をかき消していた若者たちは、私にとって気になるものを忘れていたようだ。
悪い事だとはわかっていても、職業柄それを手に取らずにはいられなかった。
中身をパラパラと見てハッとなった。
すぐにスマートフォンを取り出して耳に当てる。
「もしもし。久坂だ。話したいことがある」
私は早足で店を出た。
その手には1冊のノートを抱えて———。

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

長編です。

たぶんまだ三分の一くらいの話です。

最初にプロットが出来上がってから、結構な日が経ってしまって、思うように話を進められなかった。

 

主人公の暁は池松壮亮くんみたいな人をイメージしてもらえたらいい感じかな。

雪乃は松岡茉優さんとかかな。

最後に登場した久坂は大森南朋さんとかを想像したら割といい感じかも。

いつ完結するかわかりませんが、3部作くらいに収めて半年以内には終わらせたいなぁって思ってます。

見てわかる通り文章をだらだらと書いてしまう癖があってよく物語から脱線してしまうので、決しては書いてを繰り返しながら、気長に書いていきます。

もし興味があれば今後もお付き合いください。

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それではまた次回の更新で。

 

由良

タバコ

えぇどうも。

 

今回は日記レベルのボリュームでお届けします。

何となく書きたいと思っていたのですが、あまり広げても楽しくない内容なので。

 

突然ですが、皆さんはタバコを吸いますか?

僕は吸わないです。

健康的にも問題が出て、お金もかかる上に、服に臭いが付きます。

室内で吸えば壁が黄色く変色します。

歯も黄色くなり、口臭もキツくなる。

そして、加齢臭の原因の一つとも言われています。

 

タバコの存在意味とは

タバコって百害あって一理なしなものではないでしょうか。

依存しやすい上にお金もかかる。

年々税金も増えて言って、昔は200円だったタバコも今や500円もします。

禁煙の場所も増えていて、肩身がせまい思いをしているはずです。

いまや日本からどんどん撤退を余儀なくされているタバコ業界。

それでもなぜタバコは存在するのか。

そもそもタバコは何のために存在するのか。

 

タバコの始まりはマヤ文明からとされている。

しかしそれは儀式などの宗教的要素として使われていた。

現代のような喫煙が生まれたのは1500年前後である。

急速に喫煙文化が広まり、当時は吸えば気分が良くなるため、薬草として使用されていたが、同時に毒であると指摘する声もあった。

1900年ごろから、ニコチン、タールと死亡率の研究がされるようになった。

現代ではいろいろな方法で健康的に喫煙する方法が開発されたり、値上げ、喫煙者の住みにくい環境を作るなどして、遠回しにタバコを規制する動きが目立つ。

 

 

なぜまだ喫煙者は存在するのか

多くの場合は依存していてやめられないパターンだろう。

やめようと思えばやめられるよ、と言ってる人でやめてる人を見たことはない。

一度辞めたとしても、また吸い直してしまうことが多く、それを自慢気に「おれ3回喫煙に成功してるよ」って言うのを見たときはボケなのか本気で言ってるのか分からなくて困惑した。

 

先日、会社の上司2人ににタバコがいくらになったら辞めるかと聞いたところ、1人は800円なら辞めるかもしれないと言っていた。

もう1人は800円になったら確かに辞めそうだけど、別の何かを吸うかもしれない言っていた。

減らすと言う考えがないのが不思議だった。

値段が倍になったら半分我慢すればいいのに。

しかし喫煙者はそうもいかないそうだ。

タバコを吸っている時の安心感はあればあるだけいいらしい。

手が空けばタバコを吸う。

 

 

タバコは本当に落ち着くのか

タバコを吸えば落ち着くとかイライラがおさまるとかよく聞く。

しかしこれには納得しない。

何故なら、喫煙者は非喫煙者が絶対に感じないストレスを抱えているからだ。

それが、タバコを吸えないというストレス

タバコを吸えないことによってストレスを感じ、タバコを吸うことでストレスが軽減されたように思う。

しかしはなからタバコを吸わなければそんなストレスなどないのだ。

非喫煙者に比べて喫煙者は常にイライラしてる印象があるのも頷ける。

 

まとめ

僕にとってタバコは害悪です。

はっきり言って嫌いな部類です。

しかし、周りにも喫煙者はいます。

その人たちが嫌いかと言われれば、嫌いにはなれないです。

でも、不快に感じる時は頻繁にあります。

タバコを吸うという行為は、1人で楽しむ分には自己責任なのですが、誰かがそばにいる時はそうはいかないものです。

また、喫煙者の喫煙待ちというのも存在し、タバコ休憩が許されている社会にも納得できていません。

そう思ってる人は多分僕だけではないと思います。

そういう人たちのためにも、最低限のマナーやエチケットを持って楽しんで欲しいものです。

 

 

 

 

由良

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

せっかくなのでタイトルと同じ曲を。

PVには女の子が登場していますが、これは男性視点の女々しい曲だそうです。

それを頭にいれて聴いてみてください。

岡崎体育さんの炎上

えぇ、どうも。

 

節分が過ぎてそろそろ春かと思いきや今朝も冷えていましたね。

最近気がついたのですが、歳を重ねるにつれて寒さが堪えるようになってきました。

年々冬の寒さが厳しさを増しているのかもしれませんが、それだけじゃない原因がある気がします。

まだ20代前半ですが...。

 

 

岡崎体育さんをめぐる騒動

さてさて

今回なぜこんなピンポイントなネタをしようと思ったかと言うと、結構前々から思っていた、音楽にお金を落とせない人についてと、岡崎体育さんの今回の騒動とそれに対する岡崎体育さんのブログが、僕の言いたいことにかなり近かったからです。

 

岡崎体育さんのブログがこちらになります。

 ファンクラブの存在意義について - 岡崎体育ブログ 脂汗日記

 

ざっくりと説明しますと、

岡崎体育さんのファンクラブがあったのですが、bitfunシステムという、有料会員システムで支払う額による会員ランクを作り、その会員には+αのサービスを提供するという制度を設けたことがきっかけでした。

それに対して、「金でファンをランク分けするのか」って意見とかまあそんなものが飛び交って炎上したんです。

 

僕は最初にこの制度を聞いて、素晴らしいものだと思いました。

岡崎体育さんの話によると、今までの会員も今まで通りのサービスを受けられるんですが、それでも足りない欲張りな人はお金を払ってサービスを受けると言うもの。

ギブアンドテイク。

何がおかしいのかはっきり言ってわからなかった。

 

しかし、記事を読み進めるうちにあることに気がつきました。

これらの騒動で岡崎体育さんを批判している人は、お金を払わずに音楽をYouTubeで聞いて、ショートバージョンしかないことに腹をたてる人に似ていると思いました。

または、LINEミュージックやiTunesで有料の楽曲に腹を立ててレビューで「タダにしろ」って言ってる人。

だいたいこう言う人は若い人か、大人になり切れてない人だと思います。

似たようなもので、twitterやpixivに投稿された画像、漫画を無断転載してRTやいいねを稼ぐ人が「いいじゃないか、別に減るもんじゃないだろ」って言ってるのと同じ。

こう言う考え方の人はサブカルチャーに関わって欲しくない。

 

 

サブカルチャーはものではなく体験(サービス)を売っている

 

もちろん形として残るものもある。

しかし現代において、ほとんどがデータにできてしまうため、手に取らない人は増えた。

iTunesでダウンロードしたり、電子書籍を買ったり。

そして、形として残らない分、複製も容易くなった。

スクリーンショットや最近できた画面録画機能。

それらは手間がかからず、自分が手にしたものを自分の手で複製している。

消費しているとしたら自分の時間とスマホのバッテリーとデータくらいだろう。

それをSNSに投稿したところで、誰も損しない。

なんなら見てくれる人が増えて、知名度が上がる可能性もある。

そう考えている人が一定数いるのだと思う。

もちろん知名度は重要だ。

だが、クリエイターも大抵その辺は考えて、知名度を上げるためだけのフリーのものを作ったりしている。

しかし、お金を払ってしか手に入らないものを、いとも容易く複製し、クリエイターの元へお金が一切入らずに多くの人が手にすることができたらどうだろう。

お金を払うよりはタダで手にできる方がいいに決まってる。当然だ。

ではクリエイターは?

お金を払ってくれる人も、タダで手に入るならそれに越したことはない。

故にお金を払う人はほんの一握りになってしまう。

クリエイターにお金が全く入らないのだ。

結果としてコンテンツは次々と死んでいく。

ものは減っていないけれど、タダで得られる体験の前で、有料の同じ体験など太刀打ちできない。

あえて減っているものをあげるとしたら、未体験のユーザーだろう。

繰り返し体験が得られるものを手にして、同じものを買う人はそうそういない。

タチが悪いのが、一度無料に味をしめてしまったユーザーはなかなかお金を落とせなくなると言う点である。

「前はタダで手に入ったな」と考えだすと、お金が出しづらくなる。

こうして不買スパイラルが起きる。

 

 

岡崎体育さんが考えるクリエイターの活路

 

まず、体験を得るためにはクリエイターがいなければならない。

しかし、タダで得られる体験には勝てない。

ではどうすれば太刀打ちできるか。

それは、より多くのお金を払った人にさらなる体験を与えることである。

記事でもあるように、近年はクリエイターに投資して、そのお金で活動するいわば小さな株式のような制度ができている。

あとは、初回限定版だったり、会場限定版だったり。

そうやってクリエイターは生き残ってきたはずなのだ。

音楽において、ダウンロードで得られない体験が、CDジャケットだ。

形にも残るが、CDジャケットを得たという満足感は体験の一つといえよう。

あとはライブの抽選券や握手券。

漫画だとサイン入りとかは貴重なものだ。

そうやって得られる体験に値段をつけて、欲張りなユーザーを満足させていたのだ。

このwinwinな関係は昔から存在していて、岡崎体育さんの今回の件もその例外ではないと思っていた。

だから何もおかしいことなどない。

 

 

 

 

ではなぜ炎上したのか

 

ここからは僕の主観100%くらいになります。

今まで通り、初回限定版のCDや、サイン入りパーカーを売っていれば炎上は起こらないはずだ。

なのに、これからは有料会員限定のコンテンツを出しますと言った途端に炎上した。

その裏には何があるのだろうか。

繰り返し言うけど、あくまで個人の意見です。

その個人の意見としては、人のランク分けではないだろうか。

お金を多く払っているほど熱狂的なファンと取られてしまうプランだ。

大抵の場合は熱狂的であればあるほど、お金は使うだろう。

ではお金をかけなければ熱狂的なファンとは呼べないだろうか。

そりゃ1円も使うつもりがないなら熱狂的なファンとは呼びたくない。

グッズは買わないがCDは全て持ってるとか。

ライブには必ず応募していてその人の情報は欠かさず見てるとか。

それでも熱狂的なファンと言えると僕は思う。

境目なんてものはない。たぶん。

ファンとはそういうものだ。

しかし、ランクという形でわけられてしまえばそうはいかなくなる。

金額によって優劣をつけられたために、お金があまり払えない中高生のファンは困るだろう。

そういう人たちとその存在を盾に攻撃した人たちによって炎上したのではないか。

もう一つ理由をあげるとしたら、もともとアーティストからのサービスはタダで受けられる物だと思っている人たちによるものではないだろうか。

YouTubeなどでタダで曲を聞ける若者はアーティストにお金を払うことに前向きではない。

故に、お金を払えば受けられるというだけの(当たり前に存在する)サービスにもケチをつけてしまうのではないだろうか。

 

以上が僕の意見です。

 

 

 

まとめ

岡崎体育さんにより、bitfunシステムについて知る日本人が増え、今後このシステムを利用するアーティストは増えていくと思う。

欲張りな人のために用意するので、言ってしまえばギブアンドテイクでしかないのだ。

それを受け入れられないのは、まだ慣れていないことで、表面だけ見れば、ファンのランク分けに他ならないし、アーティストがお金のために活動していると囚われかねない。

しかし、お金というのはとても大切なもので、お金がなければアーティストも活動はできない。

お金があればより多くの制作物を生み落すことができる。

長い目で見れば、お金を払う行為は好きなアーティストが生き残るためであり、自分のためにでもある。

時代が少しずつ変われば、こうしたシステムは各方面で当たり前になっていくと僕は思います。

 

 

 

由良

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たまには洋楽を

最近知ったアーティストです。

あまり知られてないアーティストですが、クリアなサウンドが素敵なのでヒーリングにどうぞ。

 

マイナスはネガティヴじゃない

えぇ、どうも。

 

昨日じつは書きかけていた内容があったのですが、今日まで残しておいて、それでも投稿したいと思ったら投稿するようにしてました。

残念ながら昨日の時点で消しましたね。

あまりに悲惨な内容でした。

 

 

 

その内容が気になるかも知れませんが本題に移りますよ。

まずみなさんはマイナスと聞いて何を浮かべますか。

数学だったり氷点下だったりマイナス思考だったり。

マイナスが何かっていうのを一応辞書で引いてみました。

(1) 〈スル〉 引き算すること.また,その記号.「-」 (2) 負数・陰電気・陰性などを表わす記号.「-」 (3) 不足.不利. ◇ (対)プラス

-----三省堂web dictionary

 

なんとなく、いいイメージにはなりにくいですよね。

そもそもマイナスは日本の漢字にすると負ですからね。

負けるって...。

まあそんなこんなでマイナスについての基本的な知識をおさらいしたところでもうすこし突っ込んだ話をしましょう。

 

なぜマイナスはネガティヴな要素を持つのか

 

先述したようにマイナスは数学で漢字にすると負になる。

負には「負ける」「負う」などのネガティヴになりやすい意味を持つ。

さらに引き算も元のものから減らす、無くすという意味になり、数字の前にマイナスがつくだけで1番小さい数字(±0)よりも少ない。

小さい、少ないという印象からネガティヴに感じられやすい。

また、マイナス思考についても調べてみた。

以下wikipedia引用

船井幸雄の造語。古くは「心配性」「取り越し苦労」などとも呼ばれたが、行動を起こす前に否定的な結論を出したり、想像をめぐらせたりして内向的になりやがて自己否定につながってゆく。多くは一つの失敗から、またこの次も失敗するだろうと考え、自分は何をしてもだめなんだ、どうせやってみても無駄だろうと脳内において負の連鎖が起こり何事にも消極的になる。

 

船井幸雄という人については深く掘り下げないが、経営コンサルタントの人がマーケティングにおいて使ったのではないかと思われる。

出費に消極的な消費者のことを(売り上げ的には)マイナスと認識し、そうなりがちな思考を持った人をマイナス思考と呼んだのではないだろうか。

 

ここまで、マイナスのネガティヴな要素をまとめてきました。

ではタイトルの「マイナスはネガティヴじゃない」について触れていこうと思います。

数学的な観点から言わせてもらいますと、マイナスは少ないものでも小さいものでもなく、ただベクトルとして存在するものです。

マイナスというものがあるだけで、数を下に積んでいるようなイメージです。

温度計なんてわかりやすい例ですね。

あれは上下で見ているとプラス方向に赤い液が増えいく、マイナス方向に赤い液が減っているように感じますが、横向きや逆さまにしてしまえばマイナスも増えて見えたりするわけです。

さらに言い方を変えてしまえば、マイナスは透明部分が増えているとも取れるのです。

 

...そうですね、屁理屈です。

では思考についてのお話をします。

あなたはこんな言葉を聞いたことがあると思います。

参加することに意義がある

近代オリンピックの父、ピエール・ド・クーベル男爵の言葉です。

何事も経験してみなければわからないから、とりあえずやってみよう的な感じです。

たしかにやってみなければわからないこともたくさんあります。

経験することで初めてその価値がわかる。

その意味がわかる。

 

...もう一つ、きっとみなさんが聞いたことなさそうな言葉です。

参加することに意義があるのなら、参加しない勢力に参加することにも意義があるはずであり、何事も経験というのであれば、経験をしない経験にだって価値はある」

アニメ、「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」より、主人公の比企ヶ谷八幡が言ったセリフです。

ひねくれ者で屁理屈ばかりたれる主人公ですが、僕は彼の言葉にしばしば驚かされます。

悪法も法なり」というように、屁理屈も理屈です。

彼は面倒な行事に参加しないために言い放ったのですが、経験しない経験というのはとても興味深い。

「経験しないという経験」「参加しない側に参加する」

言い得て妙だけど、日本語は間違っていないし、意味も伝わる。

参加しない側に参加して、どんな意義があるのだろうか。

祭りとかに参加しないことにより静かで落ち着いたプライベートな生活が楽しめる。

これは祭りに参加していてはできないことだ。

経験も同じく、「とりあえず現役で大学に行っていろいろ学んでこい」という親も、現役で大学に行ったことしかないのであれば説得力はない。

また、自分自身が現役で大学に行かないという選択肢は現役である今その瞬間しか取れないのだ。

そうすることで何が得られて何を失うのかも、大学に入ってしまえばわからない。

 

もう一つ例を出します。

あなたは本を読みますか?

本は多くの経験や学びを与えてくれます。

ネガティヴな要素といえば目が悪くなったり時間を取られたりですが、それらがないとしたらポジティブな要素しかないですか?

まだキレイなままの雪の絨毯に

2人で刻む足跡の平行線

こんな夢物語叶わなくなって

笑顔は溢れてくる 雪のない道に

BUMP OF CHICKENスノースマイルという曲の歌詞です。

僕はバンプの藤くんがもつ詩的で物語を感じるような表現が好きなのですが、噂によると藤くんはほとんど読書をしないそうです。

子供の時から曲を作っていて、ガラスのブルースという曲は中学生の時に作っていたそうです。

びっくり。

もしも藤くんが読書をしていたら、こんな曲は書かなかったかもしれないし、音楽をやってないかもしれない。

これも「経験しない経験」で「学ばないという学び」です。

 

 

少ない、小さいことが悪いことになるとは限らない。

大きさもただのベクトルです。

経験や学もベクトルです。

しないことが必ずしも悪いことにつながることはないのです。

標準(±0)程度に本を読んだり勉強したり運動したりするよりも、なんなら一切勉強をしない人の方が驚くべき価値を生み出すかもしれない。

マイナス思考が生み出すものも価値があることもあります。

マイナスじゃいけないことなんてないです。

プラスじゃなきゃいけないなんてこともないです。

そのどこかに自分自身があればいいだけです。

 

 

 

 

由良

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボカロPのバルーンとしてニコニコ動画に投稿していた人ですが、最近名義を須田景凪に変え、自身が歌うようになりました。

バルーンという名前は聞いたことがあって、曲もなんとなくは聞いたことがあったんですが、たまたまYouTubeに流れてきた本人で歌ってるのを聞いて、はまってしまいました。

彼の描く曲のキャッチーさやノリの良さとは裏腹のディープな歌詞。

そしてそれを表現して余りあるアボカド6さんのMV。

本当に素人なのか疑うほどのセンスですよアボカド6さん。

アルバムも明日発売されますので、よろしければ皆さんもこの沼においで。

 

 

明日の予報

えぇ、どうも。

 

関東地方は先日は雪で大変でしたね。

 前々から天気予報で言われていたので、対策をする時間は十分にできていたと思いますが、それでも想像以上の雪で、積雪もなかなかでした。

前回の更新を読み返してみたのですが、はしゃぎすぎていて本当に何のために更新したのかよくわかりません笑

楽しさが伝わればいいんかな。

 

 

 

 

さてさて。

皆さんは天気予報を信じますか?

僕は信じてます。

気象予報士が過去のデータを元にパターンや法則を分析したもので、時々外れはするもののほとんどが当たります。

雪の予報もあてにしましたよ。

ただそのデータは、先のことになればなるほど信憑性はなくなって行きます。

今日の天気くらいなら大体当たるのですが、明日の天気は誤差が生じやすい。

来週の天気はさらに誤差が生まれやすく、1ヶ月先の天気などは目安程度にしかならない。

どれだけのデータがあろうと、未来のことになればなるほど不透明になって行くものです。

ちなみに地震の予想は信じていません。

当たった試しもほとんどないですし、データがどれだけあろうと、きっと予測できないのが地震なんだとおもいます。

将来的に地震も天気予報のように知らせることが出来れば、被害も抑えられるので、そんな未来が来るといいですね。

 

未来の予想はほとんどの場合不可能です。

しかし、人の未来というのはある程度コントロール出来るものです。

月並みな言葉ですが、未来を作るのは自分自身な訳ですから。

将来の夢というのは最も身近で誰もが企てる未来予想図です。

将来自分がどうなりたいのかを考え、そうするために何かを成す。

ですが、あまりに先のことで漠然としすぎています。

身近な未来予想図ですが、うまく行くかどうかは全くわからない、不透明なのです。

では、3年がどうしているのか。

僕の場合は社会人ですから、普通にしていれば同じ会社で働いて、何となく仕事も波に乗ってるかも、なんて考えたりします。

これがもし学生だったら、「進学できるか」とか「就職できるか」とか、あとは新しい環境の人間環境が不透明かと思います。

じゃあ今年の抱負といきましょう。

僕は年内に給料上げてもらえるかどうかの瀬戸際です。

実は今日そんな話をしました。

皆さんの場合はいかがでしょうか。

これから新しい環境になる人もいれば現状維持の人もいます。

でもなんとなく予想はできそうですね。

では来月はどうでしょう。

来週は?明日は?

天気予報と同じで、近くなればなるほど不透明さがなくなっていきます。

それでも明日や将来のことが不安で夜も眠れなくなる人がいるとおもいます。

そんな人に役に立つかどうかギリギリの情報です。

 

 

「人は予測できないことに不安を抱く」

当たり前だろって思うかもしれませんが、このことを意識しているのとしていないのでは大きな差があると僕はおもいます。

ちょっとUI(ユーザーインターフェース)デザインの話をします。

なにかのキャンペーンサイトや新しいサイトのアカウント開設をするとしましょう。

その時、サイトのシステムやキャンペーン内容をひとしきり読んだあと、登録しようか考えたとします。

そこで、2種類のリンクがありました。

1つは「詳しくはこちら」とだけ書かれたリンク。

もう1つは「登録はコチラ(1分で簡単登録!)」と書かれたリンク。

なんとなく、「詳しくはこちら」だけだと、どんなサイトに飛ばされるんだろう...とか、ワンクリック詐欺じゃないかとかそんな不安を抱きがちです。

しかし、「登録はコチラ(1分で簡単登録!)」だとクリックしたら何が起きるのか大体予測できる。

断然後者の方がクリックされる可能性は高い。

未知は恐怖となる。

逆に自分の把握できる範囲内であれば、大抵の行動は安心できるのが人間なのです。

これの最終形と言うか、1番重みがあるのが「死ぬこと」です。

死んだらどうなるのか、誰にも予想ができない。

だから怖い。

痛いから怖いとか周りの人に迷惑をかけるから怖いのもあるけど、それも予想はできないことです。

どのくらいの痛みで、どれくらいの迷惑をかけるのか。

なにより死んでしまったら予想の答え合わせも出来ない上に後戻りもできない。 

死ぬことへの恐怖はこう言った未知から出来ています。

 

話が逸れてしまいましたね。

では、そのような恐怖とどのように戦うのかについてお話しします。

(死ぬことはどうしようもない未知の領域なので、例外とします)

先ほども言いましたが、何故だか夜も眠れない日ってありますよね。

考えても仕方のないことをあれこれ考えてるうちにどんどん目は冴えていき、気がついたら日が昇っていた。

なんて経験をしたことがある人は少なくないと思います。

僕もその1人です。

特に就職が決まる前や次に進むべき道が不透明な進学時はたびたびそうやって悩まされました。

でも、寝る前の考え事って大概が無駄なんですよ。

ひたすら頭の中は将来への不安と何もしていない自分に対する焦燥感でいっぱいで、楽しいことを考えようとしてもなかなか頭は切り替わってくれません。

僕が考えていたことは、このまま生きていて学生時代よりも楽しいことがあるんだろうかとか、今日は何をやれたんだろうかとかそんなことばかりです。

そうやって悩みだすとキリが無くなり、眠れないせいで次の日は終日眠い、なんて本当によくあることでした。

そんな時、僕は未知への恐怖を知ったんです。

予想ができないことは本当に怖い。

ましてや明日のこともわからないのに眠るなんて出来ない。

じゃあ明日のことを決めてしまえばいい。

簡単に言っているかもしれないけど、簡単なことです。

それがたとえ達成できなくても僕はいいと思います。

明日は仕事。書類の整理をしよう。帰りに薬局寄ろう。自炊しよう。

とかそんなレベル。

大きなことは何一つ成す必要はない。

なんとなく遠くのことばかりを考えてしまうから不安が強くなるんだと僕は思う。

なので、まずは身近なことを整理してしまえば、自分の思考のコントロール下における。

達成できない場合はいつかまたやればいい。

それかちょっとだけやればいい。

僕の話になりますが、前にも書いたかもしれませんが、僕は最近日記を書いてます。

最初の頃は日記毎日書こうと必死になっており、毎回その日起こったことを具体的に長めの文にしていました。

そのせいでいつしか書くこと自体を負担に感じるようになり、3ヶ月ほどサボっていました。

しかしある日思い立ったのです。

毎日じゃなくてもいいし、なんなら3行くらいの文量でもいいから、とりあえず続けよう。

そこからはほぼ毎日書いてます。

どんな仕事をしたかとか、どこへ遊びに行ったかとか。

書き忘れた日は時々思い出して適当に書いたりしています。

それだけでも達成感があります。

とにかくやり続ける。

同じように明日の予報も毎日立てていれば、いつしかさらに先の目標や具体的な将来を予報できるようになるんじゃないだろうか。

Door in foot.ではないけど、小さなことから達成していけば、大きな目標にも自ずと近づいていくのです。

まずは小さな目標を適当にこなしていきましょう。

達成できなくてもいいんですが、もし達成できたときは目標を大きくする前に、小さな目標をより達成できるようにしていきます。

そうして少しずつ将来を不透明ではなくしていくことで、未知への恐怖は無くなっていくのです。

 

 

終わりに

簡単に出来ないと言う前にまずはやってみてほしい。

本当に小さな目標でいいし、適当なことでもいい。

少しでも不透明さをなくしていくのが大事です。

 

 

 

 

由良

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先週くらいに公開された曲なんですが、90年代の曲をリスペクトしている作り方に感銘を受けました。

この曲は特に、ブルーハーツを彷彿とさせる。

荒削りだと思いますが、ぜひ聞いてみてください。