集団的心理
ええ、どうも。
待ちに待った週末。
土日休みなのでウキウキな帰路についています。
どうやら台風の進路が逸れたみたいで、そこまで激しい雨にはならないみたいです。
先週はひどかったからね...。
さてさて、
今日はちょっと尖った内容でお送りします。
僕のダークな部分がじわじわと出てきます。
集団的心理で有名な漫画がありますよね。
あの大火事の奴。
あれを初めて見た時、似たような経験を僕はたくさんしてきたので、笑わずに共感しまくった覚えがある。
あの漫画は、きっと誰かが消防車を呼んでくれているとみんな思っているせいで消防車がなかなか来ないと言った内容。
(現在では家が燃えてたら通報しなくても消防車が来ると言うツッコミは野暮です)
あの漫画は多分人を笑わせるために作られてるんだと思うんだけど、同時に現代の(特に日本の)社会における集団生活を風刺している。
と、僕は思う。
誰かがやってくれているだろうという考えがあるがゆえに起きてしまう人為的アクシデント。
僕はこれに対する怒りがものすごく強い。
今までにも何度もそういうアクシデントや憤りを経験してきた。
僕はよく飲み会とかの幹事を任されやすい立場で、人数の確認や時間調節、店の予約までほぼ1人でやっていました。
昔のメールに比べてLINEはグループトークが非常に便利で、一気に多くの人と会話を簡単に共有することができる。
しかしそれが仇になって、グループでの話し合いだと集団的心理が働いて、なぜか返事しなくてもいいやって思われやすくなる。
僕が何度か催促しても後回しにされてしまう。
なのに個人に連絡すると結構あっさり返事が来るものなんです。
その瞬間の僕はかなり怒っています。
話が進まない事にもイライラするし、そういう人は大抵幹事をしてることに対する感謝もなかったりする。
これが僕が最も経験している集団的心理による怒りです。
最近は幹事をする機会が減ってきたっていうかプラン立てて飲みに行くってことが減ってきたので、こういうストレスはほぼなくなりました。
しかし、家庭内でも集団的心理は働くのです。
僕の帰宅時間はまちまちなので家族の夕食の時間を大幅に遅れることがあり、
帰ってきた時には夕飯が無いということが起きるのです。
それは別に構わなくて、むしろいつも作ってくれてる母には感謝しています。
でも食べた後の食器とか、空になった炊飯器の釜とかが洗うことなく放置されているのです。
それを誰が洗うと思って家族は置いたままにしているのだろう。
このまま放置すれば、おそらく料理をする母がやるんだろう。
ちなみに母は専業主婦ではない。
父は定年退職して、パートタイム程度の収入しかないので、父よりも働いている。
にもかかわらず仕事から帰ってきてから料理を作ってくれているのだ。
もう頭が上がらない。
それなのにうちの親兄弟ときたら、やってくれと言わないとやろうとしない。
なので夕飯を食べていない僕がやるという。
ものすごくイライラした。
なんで僕が帰ってくるまで放置されているのか不思議でならない。
なんなら生野菜を使ったサラダとかもラップをかけずに常温で放置してる家庭だからね。
僕はもう家を出なければなぁと思いました。
集団的心理が働くのはこうしたものにとどまらない。
思想にも及び、これが最も嫌い。
例えば
AさんがBさんを嫌いだとしよう。
AさんはそれをCさん、Dさん、EさんにBさんの嫌いなところを話しました。
するとBさんはAさんの話を聞いた全員からも嫌われてしまう。
Bさんは嫌われている理由がわからず、覆すチャンスも与えられない。
自分の知らないところで、しかもよくわからない理由で嫌われている。
僕もそう言う場面に出会ったことがある。
そもそも陰口とかを人に話すのってあまり褒められたことではない。
しかも本人と関わりのある人間に話すのはもっと良くない。
その陰口を聞いた人は、集団的心理が働いてその人を嫌いだと思うようになり、陰口を言われている人の立場はどんどん弱くなる。
本当に酷い話。
僕としては陰口を言う人よりも、それを聞いて流される人間が1番嫌いだ。
その人のことをよく知りもしないで、人から聞いたイメージだけで人を嫌いになる。
僕はそう言う人間の考え方を軽蔑します。
僕の周りは、恵まれているのかわかりませんが、こう言う人が少ないです。
人の話を聞いたところで、結局判断するのは自分なのです。
同じく、誰かがやってくれるだろうと言う慢心もあまりない気がします。
結構そう言うのは大事で、気がついた人がやればいいし、やってくれたらお礼を言えばいい。
しっかりと対等な関係が築けてこそ、親しい人と呼べると僕は思います。
僕のこの日常からの怒りに共感出来る人はいるのでしょうか。
由良