おとしもの

頭の中のものをぜんぶ形に出来たらいいなぁ

選ぶ権利

えぇ、どうも。

 

新しいことを始めるにあたり、それがどんなものかで何が必要かを精査し、いざ始まってからも研究。

やがてライフワークとなっていく。

僕の場合それがどのくらい続くのかがいつも心配で、面倒だと感じたり、孤独だと感じたらすぐに飽きてしまう。

長続きしている趣味ってなんだろうなぁと考えても、すぐにあがってこないあたり、飽き性なんだと思う。

 

そんなわけで今週もまた月曜日からスタートしました。

勤労感謝の日が間に挟まっていて、僕はしっかりと休めるので今週は比較的楽ですね。

しかし働きたくはないので、そこそこに無気力な仕事っぷりを会社にお届けしたいと思います。

そんな枯渇した僕のライフスタイルに華を添えてくれるのが音楽なのですが、最近その音楽を聴くことそのものに対して感じたことがあるので、ここに落として行きたいと思います。

 

文明の発達は偉大です。

便利な生活が当たり前になってきていることでしょう。

だけどその便利さは本当にいいことだけなのでしょうか。

 スマートフォン - おとしもの

この記事でも言ってますが、便利さとは裏腹に

 寂しさもあると僕は思います。

人は新しいやり方を覚えると、以前のやり方がわからなくなりやすいと言われています。

僕は以前ひもの結び方が下手くそだったのですが、その時のやり方をいま思い出そうとしても全く思い出せません。

それと同じように、便利さを知るあまり、不便さを忘れてしまう。

以前感じていた不便だと思う心が思い出せなくなる。

不便だった時はどんな感じだったんだろうか。

そんなことを考えていた。

 

まだガラケーだったころ、メールでやりとりしていた。

LINEは無くて、一斉送信で会話していたこともあった。

iPhoneが普及し始めても、しばらくガラケーだった僕は、同じくガラケーを使っていた友達といつまでもメールでやりとりしていた。懐かしい。

 

僕の幼い頃、音楽はミニディスクかコンパクトディスクで売られていた。

聴くためにはラジカセかまだスペックの低いパソコンしかなかった。

僕の家にはまだパソコンがなかったため、古いステレオラジカセで聴くことが普通だった。

1番古い記憶では母が昔好きだったサザンオールスターズのTUNAMIを聞いていた。

それがたぶん始めて自分でラジカセを動かした日で始めて自分で書いた音楽だと思う。

当時あまり友達も多くなかった僕は、ラジカセを動かして音楽を聴く楽しさを覚えた。

次第に新しい曲を取り入れたくなったが、僕は昔から、まともに小遣いというのをもらったことがない。

なのでしばらくは母の好きなサザンとスピッツを聴いていた。

中学生に上がり、ごく稀に親戚に会えばもらえるなけなしのお金でCDを買った。

初めてのCD。

当時大流行していた電車男の主題歌である、サンボマスター世界はそれを愛と呼ぶんだぜ

中古の500円のCDだったんだけど、初めて自分で選んで買ったCDにテンションは上がりまくっていた。

なんかも入って古くなったラジカセをなんとか奮い立たせて、CDをセット。

ものすごく高揚していたと思う。

古いせいで、再生ボタンを押してもなかなか再生されなくて、すごく緊張していたのもおぼえている。

そしていざ流れてからは最高の気分だった。

 

音楽が好きな人ならそんな思い出がもしかしたらあるのかもしれない。

初めて買ったCDはなんですか?

またはMDは?レコードは?

帰り道もワクワクしすぎてスキップしてたかもしれない。

そのくらい僕にとって劇的な瞬間だった。

 

じゃあ今は?

youtubeで音楽が聴ける。

CDは売れない。

世間がCDにかける情熱も昔に比べて薄くなった。

生産する側も何となく嫌気がさしていることだろう。

かくいう僕もCDを買うよりもyoutubeApple Musicなどのアプリで聴くことが多い。

膨大な曲をインターネットでちょっとだけ聴き、気に入ったらダウンロード。

いまやライブラリにどのくらい曲が入っているのかよくわかっていない。

どれも好きな曲だし、昔に比べて手早く多くの曲を聴くようになった。

便利だ。

とても便利。

 

ある時の話。

通勤時間に音楽を聞いていることが多いんだけど、作業時間でも度々音楽をかける。

そんなふとした作業中に、好きなアーティストのプレイリストをかけていた。

僕はそのアーティストの1番好きな曲を、作業に夢中で聞き逃してしまった。

もっと言えば、聞き流してしまった。

そんなに慌てるようなことじゃない?

僕はそうは思わなかった。

僕は以前、この曲を聞くたびに感動して、歌詞を見ずに完璧に暗記するほどにリピートした。

CDだって持っている。

でも、それがいま、ただの音楽の1つになってしまっているように感じた。

昔は一度買ったCDを飽きるほど聞いて、一つ一つの歌詞やメロディを吟味して、感じていたと思う。

たった一枚の円盤でよく味わっていたと思う。

なのに今は贅沢にもたくさんの曲が聴けてしまう。

全ての楽曲が等しく埋れていくような感覚だった。

とても虚しい気持ちになった。

 

僕にとって音楽は日常に華を添えてくれるもの。

でもそれが、音楽全てに言えるようになってしまった。

好きな曲を聴くんじゃなくて、気に入った曲を何となく"流して聞いている"。

おかげで僕の通勤時間は楽しくなっている。

贅沢な音楽の使い方だ。

便利さの裏にやはり一つ一つの想いみたいなものが薄れている気がしてる。

 

現在は昔に比べて多くの選択肢があると思います。

その全てを選ぶこともできるかもしれません。

でもその選択肢の多さが迷いを生んだり、希薄さを生んでしまうのかもしれません。

僕はそう思いました。

それでも、僕は多くの音楽を出来るだけ味わいたい。

広く深く味わえたらいいなと思っています。

 

 

 

 

 

 

由良

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この記事に登場した、聞き流してしまった僕が最も好きな曲です。

普段載せている曲とは違った、少し熱っぽい、いわゆるエモバンドの曲なんですが、僕にはそこらのエモバンドと同じには見えていなくて、聞いていると、ひねりのない真っ直ぐな感情で殴りつけられているような気持ちになります。

気に入ってくれることを祈っています。