おとしもの

頭の中のものをぜんぶ形に出来たらいいなぁ

想像する力

えぇ、どうも。

 

 

朝起きるのが辛すぎる月曜日です。

昨夜、まともに食べるものが手近になかったので、つまみとお酒でお腹を膨れさせようとした

 ら、吐くほど気持ち悪くなって、そのまま寝てしまいました。

二日酔いなくてよかったほんと。

 

 

 

突然ですが、皆さんは音楽を聞きますよね。

映画やドラマ、バラエティ番組を見ますよね。

虫の声や人の話を聞きますよね。

空や海や街の景色も見ると思います。

僕はそれらのものを想像した時にいつも思うんだけど、人が想像したものって当たり前だけど脳内で再現されていますよね。

これめっちゃすごくない??

何言ってるのかわからないと思うから頑張って説明しますね。

 

頭の中に小さな自分がいるとしよう。

そいつはあなたの記憶の中から想像したものを見てくれて、聞いてくれる奴です。

それをイメージにして落としている。

言葉も文字も同じように、想像しようとしたら頭の中に思い浮かんできますよね。

実際には何も見ていないのに、頭の上の方にスクリーンあって、そこに映像が流れるような感覚になります。ぼくは。

めっちゃ説明下手くそだけどこれが限界...。

 

もうすこし突っ込んでいうと

夢を見ていること自体に疑問を持てば、ぼくの言ってるようなイメージに近づく気がする。

夢ってすごく不思議だと思いませんか。

実際にはないものを見て聞いて体験し、記憶となる。

目の前には何もないのに映像が流れる。

突拍子のないことが続くけど、例えばもう一度見ようと思っていた映画が観れるかもしれないって考えたらすごくお得だと思いません?

自分のタイプの異性が夢の中に現れてくれたらすごくいいと思いません?

夢をコントロール出来たらすごく便利。

 

でもみんな、夢じゃないけど、似たようなことはしてるんですよ。

自分の思い描いたものを頭の中で再現してる。

実際に目の前にあるものや聞こえるものが邪魔してうまく再現できないだけなんです。

 

ついこの間も通勤時間にいつも愛用しているイヤホンを家に置いてきてしまい、ただでさえ憂鬱な満員電車がさらなる地獄と化していました。

そんな時もめげずに想像しましたとも。

雑念は多かったけど、自分の世界に入り込めた時は本当に音楽を聴いているような気持ちになります。

馬鹿みたいだけど。

多分映像でも同じことができるんじゃないかな。

 

科学も発展していて、それらの現象を解明して「可視化」する研究が存在する。

事実、頭の中に浮かべたものを画像化することに成功した研究者がいます。(しかも日本人)

脳に行く血液の状況とかなんとかって書いてあったけど、気になったら「記憶の可視化」って調べれば出て来るかな。

その時の研究で面白いのが、人は情報の一部しか記憶にないということ。

例えば始めて食べに行ったお店の料理や一緒に来た人は覚えているけど、テーブルやスプーンの形や店員さん、一緒に来た人が履いていた靴まで覚えている人はすごく少ない。

それを画像化した時、料理とか一緒にいる人の顔と服の色ははっきりわかるのに、それ以外がぼんやりしていて、はっきり映らない。 

それくらい曖昧に記憶していて、必要な情報しか得ていないみたいです。

なので記憶を画像にした場合、結構もやぁっとしたものしか出来ないです。

覚えていないことは画像に出来ない。

でも、どうにか補ったり、捏造したりはするらしいです。

今のところ「あの時のあれなんだっけ」ってなった時はあまり役に立たない技術。

 

逆手にとれば、自分が想像したものを画像に変えられると言うこと。

例えば、ドラえもんの顔とピカチュウの体で新しいキャラクターを作ることができる。

この技術が発達してしまえば、誰でも簡単にクリエイターとなれてしまう。

音楽もそうだ。

誰もが頭の中に描いたり、鼻歌で思いついたまま、楽器が出来ないから諦めていたメロディを書き起こして、データにしてくれるかもしれない。

iphoneのおかげで今もすでに手頃にクリエイターになれて、チャンスはつかみやすい。

しかしそれがさらに加速するんじゃないかと僕は思ってます。

きっとかなり先の話だと思いますが。

 

 

 

僕がこの技術のすごいと思ったのは、将来的に人の記憶をデータ化できるところだ。

それを映像としてみたり、うまくいけば、人の記憶として埋め込むこともできるかもしれない。

例えば、記憶を無くした人の記憶がデータとしてバックアップされていれば、なんとか元に戻れる。

あとは、目が見えない人の頭の中に映像が流せたり、耳が聞こえない人にも音楽を聴かせることが出来るかもしれない。

そうなれば、今よりいい世の中になるかもしれない。

 

ただ同じくらい恐ろしいと思うのは、記憶を埋め込めた時、それが自分の記憶なのか、埋め込んだ記憶なのかわからなくなるかもしれないと言うこと。

頭の中がぐちゃぐちゃになってしまう。

自分の記憶を疑うような世界にはならないでほしいと思いながら、なんだかんだそれもそれで楽しそうと少しワクワクしてます。

 

 

 

 

 

 

由良

 

 

 

 

 

 

 

 

これ聞いて街中を歩いていると、悦に浸れるというか、とてもいい気分になります。

ただ、都心部に暮らす寂しさとか、遠くの雑踏とか、自分と遠くの世界を羨んで見ているような哀愁感があります。

よろしければ。